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渡米してまだ3年の私がアメリカで子宮頸がんの手術を2回もした話 その3 最終章

ハローさい! ぽん子です。

すぐに話の続きをアップする予定が気が付いたら2か月以上経ってました。ガーン。

この2か月なにをしていたかというと、アメリカ生活初の就活に励んでいました!

結果はすべて惨敗!笑  なんなら1次審査さえも通ってません。ちーん。

詳しくは今度まとめてみようと思います。

関係ない話が入ってしましましたが、アメリカで手術をした私の体験記の最終章をお届けいたします。最後までお付き合いいただけると嬉しいです。

前々回と前回のお話はこちら⇩⇩

目次

1回目の術後、2回目に向けて

前回、1回目の手術後の健診で半年後の検査で再手術が必要と言われたところまでお話しました。

そしてその1回目の手術後ですが、ぽんファミリーは、ぽん太の転勤のためにカリフォルニアの田舎からテキサスへの引越しが決まっていました。/(^o^)\ナンテコッタイ

アメリカで再手術決定なのに2回目は別の病院…なんなら別の州。

ぽん子

今思い返すと、よくネガティブというかナーバスにならなかったなと思うけど、不思議と当時は、また別の病院に予約を一から入れるの面倒くさいなぁくらいにしかおもってませんでした笑

例のごとく、新しい病院でもまずは電話して決めてもらった主治医(PCP)に会い、経緯を説明して産婦人科(OBGYN)に行くために紹介状の手続きをしてもらい、連絡が来てやっとOBGYN行くという流れは前回と同じでした。

新しいPCPはインド系の女医だったんだけど、前職でインド訛りの英語に慣れていた私でさえ、さすがに医療用語ばっかり&早口だと聞き取れないことが多くて、聞き返しまくってたら、毎回イラつかれた笑

隣で聞いていたぽん太も聞き取れていなくて、フォローも出来ずじまいだったそう。

私の個人的意見は、移民同士なんだし、そこはイライラせずに理解を示してほしかったかな。(女医が移民なのかは知らないけども笑)

他にもこのPCPとは相性合わなさそうなポイントがあったので、PCP変更しようかなーと考え中です。

新しい病院に行くときは、必ず前の病院の履歴を印刷して新しい病院に持っていくこと。

1回目の手術の内容や医者の入力した、私の子宮頸がんに関するデータについては次の病院に連携されると言われていたんだけど、

アメリカって信用ならないから(笑)念のため、すべてオンラインからダウンロードして印刷していました。

(PCPとOBGYNに行くときどちらも持っていった。PCPの時は返されたけど、OBGYNの時はあっちでデータ取り込むからって回収された)
案の定、データは連携されてなかったから持って行ってよかった。

そのあと、2回くらいOBGYNにいって手術の話をして、3回目は手術だったと思います。

記憶が曖昧ですみません…

いざ、2回目の手術

今回はちゃんと手術の日は、ぽん太に付き添ってもらっていました。

スキンケアさえもだめとのことだったので、洗顔して乾燥した肌のまま、車で紫外線を浴びながらぽん太の運転で病院へ向かいました。

めちゃくちゃ盲点だったので、もし手術を控えている方は、UV対策の帽子の準備を忘れずに!

ここからは、時系列でなにが起こっていたかメモしていたのでそのとおりに書きたいと思います。たまに何を書いているか分からない部分は私の記憶ベースで修正しました。

当時の私による実況中継

1. 病院へついて、日帰り手術専用の受付にて着いたよーとチェックイン。

2. 40分ほどして呼ばれたらベッドに案内されて後ろががら空きの病衣に着替えさせられる。

  靴下も支給される。靴も下着もぜーんぶ同じ袋に突っ込まれた。

靴を入れるビニール袋とか持ってこればよかったなと思った。

3. 手術中用の点滴の針を刺された。ものすんごい激痛。看護師がアイスパックで冷やしてごまかそうとしてたけど、痛みに強い私でさえ耐えられなくて、後ほど別の腕&細い針に変えてもらった。

4. 耳の後ろに丸いパッチを貼られる。

これはめまい抑制の効果があって、術後も2、3日は貼ったままにしておくのだそう。素手で触っちゃいけないので、もし触ったら必ず石鹸で手を洗ってねと言われた。

5. 左手に3種類の違うバンドをつけられる。(写真ないのでイラストで再現)

  こんなことが書いていた→ Fall risk、誕生日、名前

6. 常に色んな看護師や麻酔師が入れ代わり立ち代わり、手術アシスタントのナースや手術の担当医がきてその都度、みんな自己紹介をして、体調はどうか、アレルギーはないか、呑んでいる薬はあるか、フルネーム、生年月日を言わされる。こういうリスク回避がしっかりしているところは、さすがアメリカだよね。

  ちなみに自己紹介された人数が多すぎて誰一人として覚えられなかった…

7. 麻酔?か麻酔のための薬を点滴の管から入れられる

ここまで着替えてから2時間も経ってなかったと思う。すんごいあっという間。

8. ベッドごと移動して手術室に連れていかれる。

9. もう覚えてない

10. ものすごい悪寒で目が覚める。震えが止まらず。前回も起きたシバリング現象

11. 病院から支給されたお菓子をぽん太が食べさせたりお水を飲ませたりしてくれた。

その間に、これから飲む薬のことを説明してくれてる。けれども私は全く頭が回らず理解できなかったので、諦めてぽん太に全部把握してもらった。

12. まだフラフラの状態だったので看護師に付き添ってもらってトイレに行く。なんなら個室の中まで来てくれて、トイレットペーパーも巻き巻きしてくれた。

13. おしっこが出たのでもう帰れるサインだよと言われる。

14. まだまだフラフラなので、ぽん太に手伝ってもらって着替える。

   介助のへたくそさに少しイラっとしたけど、手伝ってくれてるだけいいか。

15. 安定の車いすでエントランスの車寄せまで移動。

朝の10時前に病院について、病院を出たのはお昼の15時くらいだったかな。

16. 前日の夜19時から食べてなかったので腹ペコすぎて、帰り道にパンダエクスプレスに寄ってもらい持ち帰りをピックアップしてお家についてモリモリ食べた。

17. 食欲が満たされたと思ったら次は睡魔が襲ってきて、お昼寝。

箇条書きで書きましたが、ざっとこんな感じでした。手術の一日の流れが伝わるといいなーとおもいます。

前回の手術の際に、仕事の都合で一切付き添わなかったぽん太でしたが、今回は外来のときからずっと毎回付き添ってくれました。手術のあともやっぱり家族がそばにいるってだけで安心感も全然ちがったし、何よりぽん太の労わる様子も前とは違うなと感じました。やっぱ側で見てもらうのって大事。

術後のようす

処方されていた薬は前回と同じ、痛み止めのイブプロフェンと胃荒れ用の胃薬?でしたが、飲んでいたのも手術の日から3日間くらい、そのあとは本当に痛い時だけ、それも2週間くらいでは薬はいらなくなっていました。

前回は術後にも関わらず、すぐに長距離運転したり、マラソン大会出ちゃったりしてたけど、今回はとんでもありませんでした。

約1か月近く体調が悪く、毎日ベッドとお友達になってました。

グータラしてる負い目を感じるけど、身体がだるかったり下腹部が痛かったりで思うように動けず、もどかしい日々を過ごしていました。

でも、その体調不良よりなによりも一番キツかったのが、傷跡からの分泌物でした。

前回は2,3日おりものが出るくらいで終わったのに、今回は全くの別もので、ずっとナプキンを付けていないと下着が大変なことになるくらい。

でも生理とは違って、完全なる血液ではないんですよね。指とか切ったときに治るときに出てくるジュクジュクした分泌物あるじゃないですか、あれが混ざっているんです。

ナプキンだけだと、あの分泌物が乾いて皮膚にくっついてデリケートゾーンが荒れに荒れました。フェミニーナ軟膏的なものを常備していたので塗っていましたが、激痛だった…。友達になにかいい対策はないかと相談して、ベビーパウダーをナプキンや生理用の吸水ショーツに常に散らしていました。

こうしてデリケートゾーンの肌の問題は若干解決したのだけれども、次は臭い問題….。

みなさん、あの絆創膏とかに付着したジュクジュク分泌物の臭い、嗅いだことありますか?

あれがもっと量が多くなって、お股から常に出てきているんです。自分のカラダながら、臭くて臭くて… 1日に何度もシャワーに入ったりもしました。

今になってぽん太に聞いてみると、あんなに対策いろいろしてたのに結構匂っていたらしい。う〇ちの臭いに近かったと言っていた。ちーん….。

 意図してないとはいえ、旦那にう〇ちの臭い嗅がせてたとかショックすぎる…

でも、幸運にもその時の私は完全なる専業主婦でした!(今もだけど)学校にも仕事にもいかなくてよかったのが本当に助かった。

加えて、ぽん太の理解。これが本当に大きかった!!

私がご飯を作れなかったり、お弁当の準備ができなくても全く何も言われなかったし、代わりにご飯を作ってくれたり、買ってきてくれたり、薬の準備をしてくれました。

1か月もするとほぼ普段通りの生活ができるくらいになっていました。

⇩失敗された点滴のあと

手術をふりかえってみて

改めて最近、ぽん太と手術について話してみました。

ぽん子

2回目は、健診から手術の日まで付き添ってくれてありがとう! 薬の時間の管理もしてくれたりして本当に助かったー!!

ぽん太

どうってことないよ!前回は元気そうだったのけど2回目はさすがに病人って感じだったね。いくら仕事の都合とはいえ、前回の手術さえも付き添えないのはさすがに申し訳ないなって思ってたよ。

ぽん子

やっぱり罪悪感とかあったの?

ぽん太

そりゃあね。
女性の同僚と話してるときに、今回の休みの理由の話になって軽く事情を話したら、それは絶対いくべきよ!私の元旦那はこなかったから私はずっと恨んでたわ!って言われて、まじでやばかったんだなって実感した笑

ぽん子

同僚のひと、Good job!

パートナーのみなさん、付き添いは絶対するべきです笑

そしてそのあとのケアも忘れずに! 産後の恨みは一生みたいな感じなのかな。知らんけど。

準備したほうがいいもの

途中でもこれがあってよかったとか都度書いたけど、ここにまとめました!

  • 関連する病気のデータなど、別の病院であれば印刷して受診の際に持っていく
  • UV対策用の帽子
  • 靴をいれるビニール袋
  • 手術当日に着るゆったりとしたリラックスできる服(パジャマでもいいと思う)
  • 手術後に食べる用に軽食やスナック、飲み物
  • ベビーパウダー
  • デリケートゾーンの塗り薬
  • 生理用ナプキン
  • 生理用の吸水ショーツ

私は2回の手術ともスウェットパンツにTシャツで行ったんだけど、今思えばゆったりとしたワンピースのほうが、病衣から着替えるときに楽だったかなぁと思うけど、そこは好みかもしれないです。

まとめ

軽い感じで書こうと思った手術の体験記、まさか3回にまで渡って書くとは思いませんでした。

おかげで、改めて子宮頸がんについて勉強するいい機会になりました!

WHOが発表している、日本のHPVに起因する子宮頸がんの発生率はG7の中で最下位です。世界では87位。ワクチン接種率が高い国は、発生率も反比例してとても低いというデータがあります。

ワクチンに関しては賛否両論あるし、反対派の意見も分かります。

でも結局アラフォーになって手術を2回もした私の個人的な感想は、若い時にワクチンを受けておけばよかった、です。

若い時の私はまさかアラフォーまで結婚・出産してないとも想像してなかったし、子宮頸がんの高度異形成になるとも思っていませんでした。これだけが原因ではありませんが、これが大きな主な理由で私たち夫婦は妊活が出来ていません。

年齢的にもギリギリだし、なんなら人によってはアウトな年齢なので、この先どうなるかは未知数です。

自分の人生において選択した色んな事を後悔しているわけじゃないけど、選択肢が少なくなったことは少し悲しくもあるのが現実。でもこればかりはしょうがないので、夫婦仲良く、楽しく幸せに過ごそうと思います

あ、全く暗くなったりしてないです、ふつーにこれまで通り明るくポンコツながらに生きてます笑

人生色んな事があるよね! みんなも後悔のないように今を楽しく生きましょー♡

最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます!

ではでは、またね~ ばいちゃ。

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