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渡米してまだ3年の私がアメリカで子宮頸がんの手術を2回もした話 その2

ハローさい! ぽん子です。

前回からの続き、アメリカで手術をした私の体験記をお届けいたします。

前回のお話はこちら

目次

手術の日がやってきた

手術の日は、手術をする総合病院に朝の6時に来てねとのことだったので、仕事前のぽん太に送ってもらいました。
手術をうけるこの総合病院に来るのは初めてだったことと、早朝で全然人がいないので迷ってたら警備員と思われる爽やかおじさまや、看護師さんが優しく教えてくれて少しホッとしたのを覚えています。

指定された場所につくとチェックインをし、名前を呼ばれるまで待合室で待っていました。
待っている人はみんな、これから手術をする人たちらしいんだけど、私が見ている限りみんな、パートナーや誰かしらと一緒に待ってたので、ぼっちの私は少し心細かった…。

ぽん子

ぽん太は、どーしても仕事上その日付き添えなかったので送迎だけだったのだけど、ぽん太はずっと罪悪感を感じていたらしいと後々知る、笑

ぽん太

そりゃそうだよ!
さすがに人生で初めての手術、しかもアメリカでなのに
一人で病院に行かせるなんて可哀想過ぎて

30分ほど待ってやっと名前を呼ばれて中に入る。
中は個室というより、日本の病院の大部屋みたいな感じでカーテンで仕切られているのだけど、隣の人との距離はかなりある感じでした。

支給された病衣に着替えました。
よくアメリカの映画とかドラマで見た事がある後ろが丸見えのやつ。あー、本当にこれをみんな着るんだなぁって面白くなった。靴下も支給されたので、着てきた服を下着含めて全て脱いで着替えました。

私に誰も付き添いがいないのを可哀想に思ったのか、とっても頻繁に看護師さんが様子を見にきて、寒い?とか聞いて追加のブランケットを掛けてくれたり、点滴やらで両腕ともうまく使えない私にお水飲む?って飲ませてくれたりとケアしてくれて心強かったのでした。

どうやらその日の手術予定の患者の中で私は最後だったそうで、それまでの手術が押してるためか予定の時間になっても一向に運ばれず、暇すぎてちょこちょこ寝落ちしてました。

ぽん子

今考えるとずいぶんと呑気だったなぁ。不思議と緊張はしていなかった。

いざ、手術へ。そして術後の状態。

9時半ごろになってやっと、もうすぐだよーと看護師さんと麻酔師がお知らせにきてくれ、雑談しながらベッドを移動しているところで私の意識は途切れました。

恐らく雑談しながら麻酔をもう打たれてたのだと思うけど、もはや私の記憶も薄くてそれを説明されていたのかも覚えていません。

気がついたらすでに手術は終わっていました。しかし目が覚めると同時にものすごい悪寒に襲われました…。そうすると看護師さんがブランケットの中(もしかしたら上だったかも)に空気の入ったビニールみたいなものを置いてくれて、そこに暖かい空気が入ってくるので、ぬくぬくと気持ちよかったです。

後々調べてみると、その時に起きた悪寒はシバリングという手術後に体が体温を調節しようとして起きる現象らしいです。

術後にシバリングが起こりやすいのは、術中に眠っている患者が多く体温が低下した代償作用と、術中に効いていた麻酔薬による末梢血管拡張作用があるからです。術後の患者は、体温を上げるために電気毛布にくるまれていることが多いですよね。それには、患者の体温を上げて、シバリングを防止・抑制するという目的があります。

https://tryt-worker.jp/column/iryou/detail/ir419/
ぽん子

これを読むとすごく納得しました。あくまでも自己診断だけど、恐らく私もシバリングが起こっていたのでしょう。一つ賢くなった。

15分もすると悪寒も収まり、看護師さんがお腹すいたでしょーってクラッカーみたいなものとお水を持ってきてくれました。
そして旦那さんには12時半に迎えに来てもらうように連絡してあるからねとのこと。

その後、まだフラフラするため看護師さんに手伝ってもらいながら着替えをして車椅子に乗せられ、車寄せがある病院の出入り口まで連れて行かれ、そこにタイミングよく登場したぽん太に引き渡されました。

これもアメリカあるあるらしいのだけれども、車いすに乗せるのは病院内で転倒したりして怪我して訴えられないようにするためなのだとか。さすが訴訟大国アメリカ!

やっとお家へ帰る

本来病院が処方した薬を私の登録している薬局へ取りに行かないといけなかったのだけれども、お昼だったので薬局が空いておらず、薬が受け取れない笑


しかしながらぽん太もすぐに仕事へ戻らないといけなかったため、なんの薬なのか病院に聞いてもらい、幸いにもぽん太が前に処方されたことがある同じ薬が家に置いていたため、薬局では結局薬は受け取らずに帰宅したのでした。

確か薬はイブプロフェン800mg。日本ではそんな強い薬はあまり処方されないらしいけどアメリカでは普通らしい。

正直お腹が空きすぎてどこかに寄ってテイクアウトでもしたかったのですが、ぽん太が仕事に戻らないといけなく時間がないので、しょうがないので冷凍庫にストックしていたトレジョの冷凍のチャーハンを食べ、痛み止めを飲んで寝ました。

数時間後に起きてゴロゴロしていると病院から電話が。応答してみると担当の婦人科の先生でした。術後の気分はどうかとか、問診みたいな感じでした。

ちなみに病院ではこういったタグをつけられていました。点滴のあとはちゃっかり青あざ。

手術後の経過と過ごし方

手術したその日は正直きつかったけど、次の日からは通常通りの体調で、その時通っていた大学の授業の課題をこなせるくらいまで回復していました。

手術後の1週間くらいは不正出血みたいな、少量の出血がありましたが、それ以外はこれといった症状や痛みもありませんでした。

ぽん子

なんと、まだ1週間も経っていないその次の週に往復400km(5時間)を一人で運転してどうしても行かなければならなかった領事館へいったのでした。一体どういう体力だったの私。

手術から2週間後、術後の状態のチェックのために婦人科を受診したところ、切った部分にまだ異形成の細胞があるとのことで再度手術が必要と告げられたのでした。がびーん。
一応半年後にまた検査して決めようということで、半年後の予約をさせられました。(先が長すぎ笑)

ぽん子

なんとなんと、驚くなかれ。手術から20日後に(前々からエントリーしていた)10kmマラソンに参加しました。さすがに練習もしていなかったからキツかったーって思ってたけど、そのせいだけじゃないよなって2回目の手術の後に気づくことになります。ただのアホです。

どうしよう…2回で終わらせようと思ったのに、まだ1回目の手術の話ししかしてない笑
2回目の手術は、後々誰かのために共有しようと思って細かくメモを取っていたので、どうせなら全部お伝えしたいので、今回はこちらで一旦終わり、2回目の手術のことについては次回にしたいと思います。

今回も読んでくれてありがとうございます。

ではでは、またね~ ばいちゃ。

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